秋篠宮妃殿下、佳子内親王殿下、第32回「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」ご台覧
いにしえ息づく 時の道で
変わりゆくもの 変わらぬもの
たどり めぐりて ふたたび出逢う
面影を この心に
現在、八十三歳のシンセサイザー奏者の富田勲さんが作曲、琵琶奏者の坂田美子さんが歌詞を付けて歌ったものですが、日本人が日本人らしさを失いかけている現在、古いものを捨て、新しいものがあふれていく現在社会のなかで、古くから日本にある伝統を見なおすこと。それは、移ろう季節のなかから不変のものをみつけだすことと似ています。そしてその不変のものを大事にしなければなりません。時代が変わろうとも日本人の本質は変わってはならないものです。
わが国の文化、郷土の文化を辿り辿ることは先人先祖を知り温ね子孫への思い願いにきっと出会うことと筆者は思うのです。
そして先人、先祖の面影を胸に刻んで生きていく、日本人の日本人たる生き方をしたいものです。
富田勲さんと坂田美子さんが今の日本人に警鐘を鳴らされているように筆者は思えてなりません。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
おわら風の盆
[開催地] 富山県 富山市 [会場] 八尾旧町・駅前地区 [日程] 平成27年9月1日(火)~ 9月3日(木) 筆者が一度は訪れてみたい「まつり」に越中八尾(えっちゅうやつお)のおわら風の盆があります。 初秋の風が吹き始める9月1日から三日三晩、富山市の南西部・八尾町で行われる「おわら風の盆」。哀愁漂う三味線と胡弓の音色、味わい深い唄に合わせ舞う編笠姿の優美な踊り子たちが、坂の町を練り歩きます。地方の民謡とは思えない洗練された祭りは、今も昔も多くの人を魅了してやみません。 この祭りを受け継ぐ八尾の人々は、一年を通じておわらの練習に励み芸を追求しています。おわらが暮らしの一部なのです。 今日はあいにくの雨模様ですが夜には雨は上がってほしいものです。 おわらがいつ始まったのか、明瞭な文献が残っていないためはっきりしません。 「越中婦負郡志」によるおわら節の起源として、元禄15年(1702)3月、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖米屋少兵衛家所有から取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。 どんな賑わいもおとがめなしと言うことで、春祭りの三日三晩は三味線、太鼓、尺八など鳴り物も賑々しく、俗謡、浄瑠璃などを唄いながら仮装して練り廻りました。これをきっかけに孟蘭盆会(旧暦7月15日)も歌舞音曲で練り廻るようになり、やがて二百十日の風の厄日に風神鎮魂を願う「風の盆」と称する祭りに変化し、9月1日から3日に行うようになったと言われます。 二百十日の前後は、台風到来の時節。昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、豊作祈願が行われてきました。その祭りを「風の盆」というようです。また、富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という習わしがあったと言われます。種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などがあり、その「盆」に名前の由来があるのではないかとも言われています。 古来より「豊葦原瑞穂國」と称された我が国は、稲をはじめ穀物が実り豊かに実る国として遠く神話の昔より日の神「天照大御神」を崇め、田の神、山の神、海の神を崇め、「和」を大切にし、自然に感謝し、、自然と共に文化・伝統を育んできました。 わが国は神の国と言われています。 四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしてきました。自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。 「まつり」の語源は、動詞の「まつる」からきています。「まつる」とは、神さまのお出ましを「待つ」、神さまに供物などを「献(たてまつ)る」、神さまに従う「服(まつろ)う」などが考えられ、これを全部合わせると「神さまをお迎えして、神さまに物を捧げて、心から神さまに従う」という大意になります。このように、神さまにお仕えすることがお祭りの本義と言えましょう。 日本のまつり、それは、日本古来の文化の伝承です。 祭りを運営する人、参加する人、そして見る人。 すべての人がひとつになって夢中になれる唯一の文化といえましょう。 いま日本に必要なのは、そんな底知れぬ生命力に満ちた祭りの力と、一体感、人と人の心の絆、祖先・先人を敬愛し、皇室を崇め、天津神(あまつかみ)( 伊勢の大神宮)、国津神(くにつかみ)(氏神)、森羅万象を司る八百万(やほろず)の神々に感謝をし、よりよい日本を後世に残し、日本のこころを後世に伝えることではないでしょうか? 参考文献 おわら風の盆 公式サイト |
屈辱の日、九月二日
『願くは 御國(みくに)の末の栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを』
あの時代の日本人、軍人の胆力、自分が国歌斉唱中に爆弾を足下に投げ込まれたとき、とっさにどうするかを思えば、直立して歌い続けた日本人はとてつもないとしか言いようがありません。
先人が示した国家への情熱や愛を学校教育で教えればどれだけの子供が救われるでしょうか?
ミズーリ号での調印式前日、九月一日、重光氏は先帝陛下に拝謁したあとに残した和歌です。
[転載]TBSの拉致に対する無神経な姿勢。
石平氏寄稿にみる反対派の運動は「平和運動の名に値しない」
言葉の暴力
8月30日、国会議事堂前での安保法案抗議集会で、山口二郎法政大教授は安倍晋三首相に対し「お前は人間じゃない」との暴言を吐いた。時代劇の決めぜりふからの借用らしいが、現代の人権感覚からすれば、それは明らかに、安倍晋三という一個人に対する言葉の暴力である。
反安保法案運動が始まって以来、映画監督の宮崎駿氏は安倍首相のことを「愚劣」と罵倒し、日本学術会議前会長で専修大教授の広渡清吾氏は7月末に安倍首相のことについて「バカか嘘つきか」と二者択一の手法でののしった。そして学生団体「SEALDs(シールズ)」の中核メンバーの奥田愛基氏に至っては、8月の連合主催の国会前での安保集会で「バカか、お前は」と罵声を安倍首相に堂々と浴びせた。
言葉の暴力平気な人間は平和を語る資格なし
こうした中で反安保法案運動はそのしかるべき趣旨から逸脱して理性と節度を失い、単なる安倍首相に対する「怨念の個人攻撃」へと変質した。このような「平和運動」はもはやその名に値しない。言葉の暴力を平気で振るうような人間たちに、「平和」を語る資格はどこにあるのか。
さらに問題なのは、前述のような発言に対し、反安保法案運動の陣営から内部批判も自己反省もいっさい聞こえてこないことだ。日本の「保守」とは対極の「リベラル」を代表するような新聞などもそれをいっさい問題視していない。このような異様な事態はむしろ、日本のリベラル全体において基本的な人権感覚がまひしていることを示している。言葉の暴力を容認するような「リベラル」はリベラリズムと言えるのか。
奥田氏や山口氏の暴言が吐かれたその日、そしてそれを容認してしまった時、日本の「リベラル」はすでに死んだ。
誇りないのか
今から26年前、私の世代の多くの中国人青年が北京の天安門広場でそれこそ命がけの民主化運動を展開した。しかしわれわれは、本物の独裁者のトウ(登におおざと)小平に対しても「お前は人間じゃない」といった暴言を吐いたことはない。われわれはただ、民主化の理念を訴えただけだった。だから、民主化運動がトウ小平の解放軍に鎮圧されたとしても、われわれには誇りが残った。
民主主義社会の中で「鎮圧」される心配のない日本の反安保法案運動に参加している皆さんも、このような誇りを持ってしかるべきではないだろうか。
支那、軍事パレード
播磨乃國「夜比良(やひら)神社」
御神紋 子持ち亀甲に米
御由緒
夜比良神社の創建は、1200年以前といわれています。
御祭神の大己貴命(オオナムチノミコト)は、「播磨国風土記」にみられる葦原醜男命(あしはらしこおのみこと)で、他に大国主命(おおくにぬしのみこと)、大汝命(おおなむちのみこと)など、多くの名前で呼ばれ、出雲大社の御祭神と同神です。
はじめ出雲国を開拓された大神は、因幡国を経て播磨国に入られ、伊和神社(現宍粟市一宮町)に鎮座されました。
また揖保川に沿って南下され、粒丘に足を留められ、人々をいつくしみ、この地方を開かれ災禍を祓い除かれました。
この故事により、播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」
と呼ぶのに対し、揖保川流域の南をお護りする夜比良神社を「南方殿」と呼びます。
また、中世には、下揖保荘の総鎮守として、播磨国の豪族赤松氏そ尊崇をあつめ、「神式は赤松政村これを定む」と今に伝えられています。
古来、農業の神、病気平癒の神、健康の神、福の神、縁結びの神、学問の神として信仰されています。
[転載]国連事務総長が日本に反論、「国連は中立ではない、日本はそんなことも知らないのか」。
潘氏は「国連加盟国から日本と同様の意見があったが、歴史の経験をくみ取ることは非常に重要だと説明した」と強調。その上で「歴史を直視しなければ正しい方向に進むことはできない。歴史を正視し、さらにすばらしい未来を期待するというのが私の訪中の最も主要な目的だ」と式典出席を正当化した。
また、軍事パレードについて「心を揺さぶられた」と高く評価し、「中国国民が第2次大戦に払った犠牲と貢献を十分に承知している」とも語った。
日本政府は菅義偉官房長官が8月31日の記者会見で、「190カ国以上が加盟している国連は中立であるべきだ」と批判。外交ルートを通じて国連に「懸念」を伝達していた。(2015.9.5朝日新聞)
旧海軍姫路航空隊 鶉野飛行場跡 「男たちの大和」 三連装対空機銃が据えられる
そこまで言って委員会NP 安倍総理出演
[転載]これは大問題! 民主党・共産党・社民党と朝日・毎日・NHKはデモ禁止場所であってもシールズのデモは容認するのか? 社会秩序の崩壊。
つまりシールズの禁止場所でのデモ行為、禁止を注意もせずに手をつないでいた国会議員の責任問題、デモ禁止を報じずに参加者のことだけを報じたマスコミ。これこそ社会秩序を乱す責任問題ではないか。
日本の伝統・重陽の節句
人日(じんじつ) → 1月7日「七草がゆ」
上巳(じょうし) → 3月3日「桃の節句」
端午(たんご) → 5月5日「端午の節句」
七夕(たなばた) → 7月7日「七夕祭り」
重陽(ちょうよう) → 9月9日「菊の節句」
現在でも、菊のコンクールや鑑賞を行う慣習は、「菊合わせ」を淵源としています。 京都の上賀茂神社では、無病息災を祈る重陽の節会が現在でも行われています。
高知の高知市立中央高に自衛隊コース・・来年度新設!
茨城、栃木地方、大雨で甚大な被害広がる
安保法制反対派「SEALDs」中心メンバーの奥田愛基テレビ出演
奥田愛基氏 「SEALDS」中心メンバー 明治学院大学4年
コメンテーター:
江上 剛氏、犬山紙子氏、永島昭浩氏
田崎氏「選挙で選ばれたからですよ。」
奥田氏「去年の選挙も国民の意思とは言えない」
田崎氏「去年の選挙前から自民党は安保本案について話をしてましたよ」
奥田さん「テレビ等でちゃんと説明してなかったですよね」
田崎さん「ちゃんとしてましたよ。」
アナウンサー「してましたね」
[転載]シールズから国会議員を送り出す?これ以上日本に愚かな反日売国議員はいらない。
「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人である学習院大学教授の佐藤学氏は「私たちはこの歩行者天国をハイジャックしました。この力で安倍から日本を取り戻しましょう」とステージから呼びかけ、一週間後に再度抗議集会を開催すると述べた。(IWJIndependent Web Journa)
民主党政権下で襟を立てながら事業仕訳で堤防の予算を削りました。そういう人がこのデモで「戦争法案反対」と言い、「守るべきは皆さんの生活。来年度予算案を見て下さい、唯一増えているのが防衛費です」と言いました。
シールズの奥田愛基はフジテレビで、今後シールズでは国会議員を出すようなことを言っていましたが、彼らに政治をさせるということは、また愚かな反日売国議員を増やしていくことになります。
神戸連続児童殺傷の「元少年A」を取り巻く異常。犯罪者に甘く、被害者を蔑ろにする日本の司法。
[転載]シールズロゴはパクリ? シールズ広告1000万円はどこから捻出? 暴力集団は日本にはいらない。
産経新聞社とFNNが12、13両日に実施した合同世論調査によると、国会周辺など各地で行われている安全保障関連法案に反対する集会に参加した経験がある人は3.4%にとどまった。
共産、社民、民主、生活各党など廃案を訴える政党の支持者が7割を超えた。最近注目を集める反対集会だが、今回の調査からは「一般市民による」というよりも「特定政党の支持層による」集会という実像が浮かび上がる。
集会への参加経験者の41.1%は共産支持者で、14.7%が社民、11.7%が民主、5.8%が生活支持層で、参加者の73.5%が4党の支持層だった。
「今後参加したい人」が各政党支持層に占める割合を見ると、高い順に生活44.4%、共産42.5%、民主41.1%、社民28.5%。特定の政党支持者の参加意欲が目立った。
市民団体「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」は9月14日夜も国会周辺で集会を開き、民主党の岡田克也代表、共産党の志位和夫委員長ら野党幹部が出席した。(2015.9.14産経新聞)
集会で機動隊員を群衆の中に引きずり込もうとしたとして、警視庁は14日、公務執行妨害の現行犯で、千葉県に住む60代の無職の女を逮捕した。(2015.9.15産経新聞)